昔からそうなんだけど
オンとオフの差が激しいのに、切り替えがうまくできない。


帰ってきても仕事のことを考えてしまうし、解決しないままだと夜うまく眠れない。
お休みの日だって、週明けの仕事どうしようとか
あーしたらこーしたらと考えて
結局オフになりきれないでお休みが終わる。


でも、仕事中に休みのことを考えることはなくて
仕事中に誰かのことを思ったり考えたり
夕飯なんにしようとか考えることもない。


なんでかわからないけど。
日中にあった出来事を声に出さないと心の整理ができない。
聞いてほしいのもあるけど、アドバイスがほしいとか相槌がほしいとかではなくて
単に声に出して今日一日あったことを整理したいだけ。
そうしないと明日うまく立ち回れないような気がして怖いから。

昔は独り言ノートを作って、その日やったこと思ったことやりたいこと反省したこと
明日することとか文字に残していたんだけど、
ノートの中ではほんとうに勝手なもので
書いているうちに「自分は悪くない」「自分はこうしたかったのに相手が」
「相手が悪い」みたいな
自分を正当化する方向に進んでしまう。
それが、文字に残すと次の日までひきづってしまうことが最近わかった。
ノートのだけで収まればいいのに、翌日の仕事中にまで「やっぱり自分は悪くない」
みたいな姿勢が言葉のはしはしにあらわれるのが自分でよくわかる。


だから、文字に残すのは止めた。
でも、最近は声にだしても全然整理ができないでいる気がする。
わからないことが多すぎて、●●かな?というアイディアさえ浮かんでこない。
毎日毎日達成しなきゃいけないことが不透明で、
自分のポジションもよくわからなくて
これかなと思って一生懸命やってみれば的はずれで
なんだそんなに期待されてないなと思えば
そうでもなくてなんで■■やってないの?って言われる。
やってもやっても上のハンコがなければ動けないし
それを現場では「責任転嫁のため」とかいうし。
結局、最後にハンコ押した人が責任とるんだから、自分を守るためにハンコ押してもらうんだっていうの。
このハンコのせいで、物事がどんどん遅れていること。
みんながマヒしているのか、自分が染まり切れていないのか。


そうなんだよ、染まれてないよね確実に。
現場にっていうか社会に。
あぁ自分って、まだまだ学生気分で恥ずかしいって毎日がっかりする。
同じ目標に向かって、とか
協力して、とか
支え合って、とか
自分を叱咤激励して、みたいな
そういう学生生活みたいな日中の過ごし方をしたくて
染まらなきゃいけないのに、避けてるみたいで
わかってるのにやっぱり消化しきれない日中の過ごし方にイライラしてしまうし
毎日無駄な時間を過ごしていることにがっかりするし
なんていうか、あぁ大人って毎日こんなにもつまらないんだなって思う。


やりがいまでもいかないけど
自分のやれることがあって
評価されないにしろ
みんなの流れの邪魔にならないように
なんて、ならないかなって。


時間が解決とかいうけど
この時間をうまく流す方法を
まずは教えてはくれませぬか。


あぁ、なんだかウツウツ。
年金に戻りたいな。

なかなか書ける場所がないので

ここにひさしぶりにきてみました。
今年もよい一年になりますように。


地震のことを何度も何度も書いておきたいと思うのに、やっぱりうまく書けないもんだね。
今日は当日のことを思うままに書いてみようと思う。


3月は時間の流れがすごく遅く感じた。


職場で帰宅許可がでたのがたぶん16時ごろ。
そこから職場のバス通勤の先輩を送りながら
「わぁやっぱり信号動いてないですね〜食料とか買っといておいたほうがいいんですかね〜〜」
とか結構のんきに会話してた。
あっという間にコンビニは軒並み閉店しだして、
「今から帰宅、コンビニ寄るので食料希望連絡よろ」
災害伝言板に残したけど
「コンビニ機能せず、とりあえず手ぶら帰宅予定」に変更。
途中、急に母方のばぁちゃんが一人なことに気づいて急いで寄って様子みたりしてるうちに
やっと災害伝言板の使い方を理解してきた両親が
「父さんは出動で今日は帰れるかわかりません、家をよろしく」
「お母さんは子どもが最後帰るまで残らなきゃいけないから、お家よろしくね。しーちゃんもだよ」
まぁこんなことでしょう、今に始まったことじゃないし。


当日、専門学校の卒業式に向けて出発する予定だった兄がたまたま引っ越しを終えて実家にいた。
ほんとうはもっと早く出発して飲み会に参加する予定だったらしいが、まぁ式当日でいっかということになって出発を遅らせたらしい。
近所で働き始めた弟も即帰宅完了して、アウトドアガイな二人はすっかりとキャンプ用品のチェックとメンテナンスをしていた。
同居してる父方のばぁちゃんと「今日は電気無理かもだなぁ」なんて、めちゃくちゃのんきに外で夜に向けていろいろ準備してた。
「沿岸のほうからドーン!って音がなったんだよ!!東のあの山のむこうでさぁ!!ドーンてかバン!みたいな〜津波きたらしいけど、どんなもんだろうねぇ」
なんて。超、ぼんやり。
このあたりで17時。
この時はまだキャンプ気分。
あっという間に日が暮れて、長い夜が始まった。

当日は余震こそあったものの、
明日にはどうにか!明日はきっと!明日は明日は!
ってばかりで
テレビもなくラジオの情報も地震速報ばっかりで
世の中何がどうなってるのかわからなくてぼんやり。
結局三日間の停電。
携帯の充電も安定してできず、かろうじて見てみたワンセグのニュースの映像に
「何これ、車なの?なにこの洪水。」
ぐらいにしか思えなかった。
あれが、津波だったなんてしばらく理解できなかったなぁ。


電気がない生活は、本当に静かで暗くて怖かった。
ただでさえ田舎なのに、窓から見える景色にひとっつも電気がない風景は
生まれて初めて見たと思う。
電気がないと本当に不便。
信号が機能してない交差点とか
しまいには便座のあたたかくないトイレ
(これが意外にも体が勝手に座ってしまうため、めっちゃ冷たくてヤバイ)とか
言い出したらキリがない。
備えとか準備とかそんな言葉ではなんだか足りないよなって今でも思う。


あの時は数日後に起こるガソリン不足とか食料不足とか
全然考え付くわけもなく。
電気が通ればすべてが日常に戻ると思ってた。
ワンセグでみたあの車も洪水も
きっと電気が通れば大丈夫なんだろうなって漠然と思ってた。
電話だって、正月元旦の規制みたいなもんで
だんだんとよくなって
ネットが使えるようになればいろいろみんなの様子が知れるんだろうって思ってた。


あの時、日本があんなに混沌としていたなんて全然知らなかったし、
帰宅困難ってどんな感じなんだろうってぼんやりとしていたし、
原発なんてもちろん全然こっちのラジオではやっていなかったように記憶してる。


結局余震でごはんもろくに食べられず、お風呂もなく
ただラジオだけがキンキンとなる家。
すぐ出れるように荷物をまとめて横になったあの
目に残る家の天井。
「しばらくこの生活だろうな」と言った母の言葉や
「家を頼んだ」の父の伝言が
こんなにも長く、明日も明後日も続くとは思いもしなかった。